意識高い系は害をなしている?
こんにちは。きなこもちです。
今日は年末に会った友人の一言から考えたテーマについてです。
―「意識高い系」は害が否か。―
年末。
久しぶりに会う地元の同級生。
あまり仲がいいとは言えない友人。
久しぶりに会うので少し緊張。
地元の居酒屋に集合。
久しぶりに会いお互いの話をする中で、
ふと友人が
「きなこもちって意識高い系だよね!!」
と言い始めた。
突然なんの話かと思えば、私のFacebookを見ていての感想だったようだ。
私は普段から自分が研修に参加した際など、その研修で何を学んでどう感じたのかFacebookに書き記すようにしていた。
....が、まさかその事が話題に上がるとは。
「Facebookなのにめちゃくちゃ文章長いの笑」
「横文字ばっかり笑」
周りもそれで盛り上がる。笑う。
私も合わせてニコニコ笑う。
笑う。
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私は家に帰るみちでぼーっとその日の飲み会を振り返った。
「意識高い系」という言葉がずっと引っかかっていたからだ。みんなからすれば一個のネタに過ぎない。ただそれだけだ。
でも私は引っかかっていた。もやもや。
「意識高い系 Wikipedia 検索
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者[1][2]、前向きすぎて空回りしている若者[3]、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人[4]などを意味する俗称である。
大学生に対して使用されることが多いが[5]、ビジネスマンや主婦など若者・学生以外の層に対して使用される場合もある[2][6][7]。「意識高い系」の特徴として、自己啓発(ボランティア・政治)活動や人脈のアピール、あえて流行のカタカナ語を使うなどが挙げられる[1][8][9]。嘲笑の対象として「意識高い系(笑)」と表記されることもある[5]。」
ふむふむ。
なるほど、私はこんなふうに周りから見られていたのか。
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私は真面目だ。その自覚はある。
人間関係があまりうまい方ではないから、人一倍がんばらなければならないと
頑張っている私でないと、やりたいことはやらせてもらえないと学生時代思っていた。
元々意思なんて弱かった。でも強く意思をもてるようになりたかった。
だからいくつかの研修に参加した。
リーダーシップ、人との交渉術、大学の授業を良くするためには、被災の際必要な力についてなどジャンルは様々だ。
ネットにあまり強くない私はFacebookなんて最初は使いもしなかった。
様々な先生方と関わる中で、自分の考えを発信することを諦めないのは大切なことだと知った。
先輩や先生方に勧められFacebookに少しずつ記録を残す。
自分1人で続ける自信はなかった。でも見てくれてる人やそれに対して意見をくれる人がいるから記録を続けることができた。
最初はやたらめったら研修に参加していたのが、少しずつ意味を考えるように。
狭かった人間関係も少しずつ広がっていった。
自信なんてない。自分のことだってまだまだ嫌いだ。
でも自分を変えたり、受け入れたりする努力を自分なりに続けることは大切だ。
結局私は、その自分の中でひっそりと大切にしていた努力を「意識高い系」といじられたことで傷ついていたのだなと腑に落ちた。
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Facebookの書き方にもちろん問題はあったかもしれない。
意識高い系とマウンティングしてきた友人はもしかしたら余裕がなかったのかもしれない。
自分に自信があれば、意識高い系といわれたごときでこんなにモヤモヤしなかったのかもしれない。
でも「意識高い系」に罪はないんじゃないのか。
基本、本人がそうみられて困るだけなのだから。
やる気だけは折らないでほしいなぁと思う。
空回りだっていいじゃない、恥ずかしくたっていいじゃない。
成長しようとしてんだから。
意識高い系だって成長の過程のひとつで、
いじめだって、中二病だって、俺悪いことは一通りやったぜだって似たようなもんじゃないのか。
個人的には
お願いだから人を叩いて他人のやる気折ってる暇あるなら、あーあいつ浅はかだって遠くから笑っててもいいから自分のことやってくれ~って思う。
もっと余裕がある人は空回りしてる歯車に優しく油さしてやってくれ。たのむよ〜って。
私のペースでみんなが恥ずかしい思いをしないよう努力はすっからさ〜真面目と意識高い系をひとまとめにしないでよ〜って。
でもまあとりあえずはなにつくんだろうな私の発言は...と思うので。はなにつく発言は控えて、中身は徐々に伴わせていこう。
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意識高い系は害をなしている?
皆さんのご意見お待ちしています。
きなこもち